SPCCとは

スクールフォトカメラマンクラブ



当クラブは SNS mixi 内“学校写真を考える”のオフ会が発端で約 7 年前から活動が始まりました。
当初の集まりは“学 校研究会”としていましたが、2016 年夏の勉強会(夏勉)を開催するに当たり、もう少し使いやすい名前をと考えられたものです。

運営について

当クラブは、一期一会の集まり、春勉(不定期開催)、夏勉(8 月開催)、冬勉(2 月開催)を開催為のネーミングであり、組織化 などはされておりません。
プランナーとして星川が事務局で勉強会の呼びかけを行い開催される勉強会の参加者が会員であ り運営者であるという形です。
会費も個々に開催される勉強会の会場日や経費を推定参加者数で割り徴収、余剰金は HP 維 持や通信費として使わせていただいております。

星川 武彦   1965年生まれ   東久留米市在住
高校時代学校に出入りしていた写真館のカメラマンと仲良くなる。就職活動時にカメラマン希望で交渉し夜間写真学校に通うことを条件に高校卒業と同時に学校カメラマンの世界に入る。当時はフィルムカメラ時代、学生数もピークで一学年10クラスが当たり前の時代であった。1985年勤め先の写真館の取引先であるアルバム印刷所のレイアウトセミナーで藤坂美彦氏と出会い師事するようになる。のべ6年間学校写真カメラマンを勤めるが、勤め先の規模縮小を機に、学校アルバム印刷所へ転職、企画業務を望んだが、それを実現するために営業の経験を積む事を勧められ17年営業活動に従事、営業活動の傍ら持ち前の好奇心で、製版、印刷、製本、表紙生地、箔押し素材など学校アルバム製作過程全てを観察する、17年アルバム印刷の営業を続けたが進路に迷い写真館の先輩でもある鹿野氏(現LAB代表)に“君から学校写真を取ったら何が残るの”の一声に押され2007年先輩写真館の引退を機に学校カメラマンの世界に戻り、屋号ランセルコッコ(ランドセルとヒヨコの意)を名乗り活動する。営業マン時代の顧客とのネットーワークを活かしSNS mixiにおいてコミュニティ“学校写真を考える”の運営を開始、撮影現場で起こる疑問、新しい撮影方法、その他いろいろな情報交換の場を設ける。そのコミュニティのオフ会がやがて冬勉、夏勉と発展し現在に至る。

藤坂美彦    1941年広島生まれ
高校在学時代からグラフィックデザイナー 藤坂泰介(父)を師事(実は二人とも被爆者である)1967年父とともに㈱ダイコロに入社、コロタイプ印刷で製作されている学校アルバムの世界にはデザインやレイアウトを取り入れる概念が無いことに驚愕する。入社後5年間、学校アルバム制作と学校写真のあり方を探求、理念を構築していく。ここで父泰介氏は理論を美彦氏はレイアウトを担当する。以後、二人の提唱する学校アルバムのあり方、“優れた学校アルバムは優れた学校写真から構成される”は全国の学校写真家、学校アルバム制作会社に浸透し、学校アルバム黄金期の幕開けを迎えることになる。その中でも新潟を拠点とする博進堂に籍を置いていた時代、泰介氏は同社のアルバム製作理念に磨きをかけ、美彦氏は黒子として学校アルバムのレイアウト概念を構築、その理念と学校写真家、御竿氏との思いを融合させた別府市立別府商業高校(2017年3月閉校)を制作する。このアルバムは当時の学校写真家を驚愕させ各方面に大きな影響を与える。その後美彦氏は博進堂だけではなく主要アルバム印刷所に所属し各社のアルバム制作概念の構築やレイアウトに関するノウハウを提供する、影響を受けた印刷所は8社以上とも言われている。また、そういった活動とは別に、すべての卒業生にアルバムを届けたいという気持ちを実現するため、小規模校に対するアルバム普及活動を1998年から開始、主に中国地方の小規模校に対しアプローチをかけるがなかなか芽が出ない時間を過ごす。実はネットで見る小部数アルバム製作会社のにぎわいも、原点は美彦氏の“すべての卒業生にアルバムを”であると私は確信する。現在広島市を拠点に大学1校と小中学校のアルバムを制作、自身もカメラを持ち撮影に取り組み、良い学校写真とは何かを探求している。76歳現役